毎回そんなに痛くないんですけどね‥、怖いものは怖い。
追記
ダーリンの誕生日まで後一か月を切りましたね。
メインのプレゼントはもう少しどうにかしたいところですが、今の状態でも一応何が言いたいのかくらいは伝わるので、どのようになってもこれを渡すつもりでいます。
これとは即ち曲‥、私が彼の為だけに作った歌です。蝉丸が彼に短歌をあげていたので、私は曲を‥。いや、別に蝉丸に対する対抗心だけで作ったのではないのですが。
何かね、蝉丸が一方的に「あげる」って言ってただけなら別に何とも思わなかったのですが、ダーリンが「貰っておきましょう」とか言うから複雑な心境になってしまって‥、まぁ、蝉丸はどう転んでも友達だって言ってるので私がハンケチーフを一枚ズタボロになるまで噛むくらいで収まったのですが。
今日はUpした絵の感じで二回目のワクチン接種に行ってきます。
ついでに、七月に散歩の途中で拾った11000円が、落とし主が名乗り出ないまま保管の期間が終わったので、全額私のものになるという事で、お金を受け取りにちょっと警察署に行ってきます。警察署とワクチンの会場って、道一本挟んだ隣なので、ワクチンが終わったらちょっと寄る感じで行きます。
お金はほぼ車のバッテリーを交換する為に使いますが、残りはデート代にあてようかと。いくら残るんだろう?
とりあえず、時間まで何かやって過ごします。
追記
眠過ぎて何も出来なさそうです。
あんまり触れない方がいいかもですが、某少年エーって物凄くナルシストですよね。
そして、それに続けと言わぬばかりに某少年の二番煎じ三番煎じが生まれている、狂気に憧れる子供やこどおじが多い気がします。楽して実感を手にしたい自分に甘い系のマイノリティーへの憧れという流行りか?
そういう理由で狂気を模す人間には、退廃の良さが解らなさそう。退廃って言葉やニュアンスがかっこいいから好きだとかぬかしそうですが、根拠らしい根拠は無いはず。だってデカダンスは人工物が自然へと還るノスタルジーに基づく美しさなのだから。
自然に狂気という概念は存在しないのです、狂気は人間が作った概念、自然はずっと工事中の建設現場、何が現れてもそれを異常とはみなさない。
Twitterとかやっていた頃から本当に許容出来なくて、どうにもならない問題だわ、って結局Twitterは本当に一年近く全く覗いていないのですが、理想だけの空っぽの人間が多過ぎるなと思います。誰かの真似ばかり、いや、誰でも何かする時は何かを真似るものですが、そこからオリジナリティが発生するまで頑張らない人しか居ないのかってくらい多いですね。
憧れと自分の適性が合致しているとは限らない、悲劇の主人公になりたくても五体満足で家庭円満で経済難でも何でもなくてそうはなれない事が本人からしてみたら辛いのかも知れない、でも、別に悲劇の主人公や狂人だけが魅力的でマイノリティな個性ではないと思います。
感性が一般的で特別じゃないと思うなら、その人は自分の目で周囲をよく見る努力をしていない。3時間4時間と同じ景色を見続けていれば、一つくらいは自分だけの特別な感じ方が有るはずなので。
いい大人が二番煎じや三番煎じしか出来ないと言うのなら、もうそれくらいの年齢の人が考えを改める事はプライドや物質的な阻んで難しいと思いますが、まだ子供なのにってくらいの年齢の人には、そんな記号的な憧れの為に人生を台無しにするのではなくて、自分だけが持っているはずの自分だけのビジョンを探して大事にして欲しいと思います。とりあえず色々なものを穴が開くほど観察するといい。どんなによく見ても理解出来ない、よく見て知る程に不可解になる現実を知るといい。
こういう事を書いている私は、最近何かをよく観察するという習慣が抜け落ちているのでまた数時間かけて同じものを見てみます。