Master's diary

特にテーマは有りません。小説の進捗や絵、本人画像をよく上げます。BLや暗い内容のものも多く有りますので、閲覧時にはご注意下さい。

帰宅

帰宅しました。

何か普段やらない事をやろう、という事で色々やって(遊んで)新鮮でした。

(夜中のヨダカ鑑賞とか、夜の公園の遊具で遊ぶとかその広い公園の散策とかect..)

 

多分、3日後くらいに筋肉痛が来ます。

 

今日はゆっくり過ごす予定です。映画鑑賞も候補に有るけど‥、何か集中力が無くて内容が頭に入らなさそうなので私は見ないかもです。

(映画版魍魎の函とRRRを借りてある)

 

買い物には行かないとな、明日食べるものが無い。

支払いは今日は降ろすとき手数料かかるから明日にしようかな。

 

 

 

ちょっと疲れたので暫く寝ます。

 

ラクガキだけおいていきます。↓

気まずい

 

よく寝た‥。今は一旦みかぜと別行動で、夕方合流します。そろそろタイヤを交換してもらわないと‥。

 

 

 

何か打ち出の小槌を振って貰って、間違えて飲み込んでしまった二羽のインコを救出してもらう夢を見ました。(そしてLINE音で落ちる)

 

打ち出の小槌かぁ‥、月光条例‥、お祝いの3日間は本読まないと決めているので、もう少しですべての謎が解けそうな月光条例も読んでいないのですが、作者についての話で思うところが沢山ありますね。

 

作中のメーテルリンクさんは「この話(青い鳥)は悲劇のつもりで書いていない、悲劇とは境遇ではなく運命の流れ着く先だ」みたいな事を言っていて確かにそれはそうなんですよね。

 

主人公が最後に拳銃自殺をする劇ですら悲劇とは限らない、死ですら役割の一つでしかない。

作者は言いたいことが有るから話を書く、その時登場人物に大事な人を重ねてせめて作中だけでも幸せを願ったり、登場人物を役割を持ったコマのように使ってその子の気持ちなんて考えなかったりします。風刺や寓話は後者になりがちです。

 

私も私の書いた童話の人達に恨まれてるんでしょうか。滑稽に蛙の皮をかぶせて踊らせて死なせて馬鹿にして僕はこういう人を軽蔑するけど僕の中にもこういうものがある、むしろ自分の中の愚かさから目をそらしている者が本物の愚か者だ、と言いたかった話の主人公は私をどう思っているんだろう。

憎悪を持って書かなかったかと言われたらめちゃめちゃ憎悪を持って書いたけど、同時に自分の中の愚かさとも対峙しながらの執筆でした。

 

幽霊の話は希望が無いわけではないから悲劇とは言わないと思う。幽霊には永遠に希望が与えられ続けているから。

 

家付き妖精は完全に登場人物の気持ちはコマで言いたい事を書く為に滑稽すぎる話の末に主人公は一見そんなに悪いことをしないのに逮捕されて終わるので悲劇に見えるかも知れません。

(明らかにリターンが多過ぎたら疑えというメッセージでしたが‥、他人がくれるものに危険が無いとは限らない。浦島太郎ににていますが。)

 

登場人物にとって作者はまるで自分たちに理不尽な運命を強いた神のようなもの、でも神だとして、登場人物たちが作者が決めた運命のままに動いてくれることで作者が伝えたい事は言葉を越えた言葉で届く。

 

全部役割だから、死ですらも‥、【吾輩は猫である】を悲劇だとみなす人が居るだろうか。何だかおもしろおかしく滑稽な話だという印象だけが残らないか、猫が最後に水瓶に落ちて溺れて死んでいても、その死は話にピリオドをつける為の役割でしかない。

 

言いたい事を伝えたい、それだけで登場人物達に気を配る事は確かに無いに等しい。

そういう非情さが必要なんだ、可哀想だなんて思ってたらメッセージが壊れる。

 

唯、自分で書いたものは大事に思っています。作るの大変だったから。ゾーンにでも入っているのではという異常な状態で書いた、いわば腹を痛めて生んだ子供だから。

 

人間は運命をこれといって決められていない、そして境遇は悲劇ではない。

どんなに酷い境遇に生まれても本人次第では自分の人生を喜劇に出来る。

そのお手伝いが出来ればと作者は話を書く。もちろん作者も同じ人間の身で。

 

 

 

ロータリーの続きの林檎の森をずっと書きかけで、それに込めたい事が有って、でもそれが大きなこと過ぎて難しくてずっと完結しません‥。

「僕たち小さなクリストは、神様に似る事だけが幸せなんだ。」

このメッセージの真意をくみ取ってくれる人が現代に居要るとも思えない。

宗教的に見たり無神論的に見たりされたらもうそれだけで届かないメッセージだから。

何で神様に過剰反応するのが多いのか、しかも間違った認識で。解るよという人も社交辞令で憐れんで言ってるだけで絶対に解っていない。私は生死の境でようやく会えたんだから。実際に交流したんだから。

 

メッセージが届かないで悲しいのは神様ではなくて私です。あんな無償の愛情に気付かなかった自分をまず深く悔いましたし。精神の努力次第でいつでも得られる深い愛情、いつでもそばに居て唯善でしかない存在だと、解る人は現在では私以外に居ないんじゃないかと思うほど見ない。

昔の芸術家は解ってくれると思う、清涼な精神の努力の果てに得られる救い、祈りとは本来そういうものなのだ、神様の愛情を精神を研ぎ澄まして感じる事なんだ。

願い事を叶えてくれないから神様なんて居ないって言ってる人が多過ぎて私は悲しい、こんなにも純粋に愛してくれる存在を貶して見ようともしないで、私は神様の人性として泣きます。あなたが泣かないなら私が泣いて伝えます。

 

こういうのは押したらダメですから、黙って作品を書いて出回らせるのが一番です。

押し付けられたら反発したくなるのが人間ですから、ふと目に入ってきたものの方が受け入れやすい筈。

 

 

 

まだ眠いからもう少し寝ます。