掲示板からの引用です。↓
よく見る、「関わってはいけない人」情報の中に、「マウントをとる人」というのがありますが、そうすると少年漫画の登場人物は殆ど関わってはいけない初対面でマウントをゴリゴリにとって来る人ですね。
(まぁ大体良いナルシストの傾向ですが)
この最凶の飛礼は多分、四天王の中で最弱です。
良いナルシストは
俺の技は最強→俺の技を破った奴は相当凄い→認めてやろう
な思考(切磋琢磨)
出逢った瞬間、ウジ虫が~、とか、お前の命日だ~、とか、相手が悪かったな、とか、一ひねりだとか言われるわけです。
そんで、自分の技を解説付きで自慢されるわけです。
それが少年漫画というものだ。
だって、登場人物全員自己肯定感低かったら話進みませんからね。キャラもよく解らんし。という事で彼らのマウントは許されるのです。
ていうか、最近キャラデザ変えた自分が描きづらくてしゃあない‥、糸目の人描きづらいよぉ。
キャラデザ変えたし、プロフィール画像も糸目のやつに変えるべきでしょうか。
プロフ画像って撮るの難しいんですよね、服や髪形から決めて背景も考えて撮るし、無加工で行きたいので日当たりとか時間帯とか考慮すると難易度が高い‥。失敗して終わる日も有ります。
今まで最近の私服で撮った事が無いから、試しに久々に撮ってみようかな?糸目で‥。
切れ長で釣り目だった私は消滅したらしいです。ラーメンマンじゃん‥。
ほんとに最近自撮りをしないのでたまには撮っとこう。急に老けてたら心が対応出来ないかもしれないので。
追記
糸目のプロフ用写真
撮り直す確率88%
↓は糸目ではないけど一応撮ったやつ。
本持ってるのが良いかな‥、暫定で。
流石に今のプロフ写真は取り替えたばかりなので、後数年したらこの中のどれかの写真と取り替えます。
今日は天気が悪いので撮るのが難しかった‥、背景は良い感じだったので困りませんでした。
服はお出かけか体調不良の時以外はこの服なので服の難易度も低かったです。
小道具(本)は唯の小道具ではなく私が普通に好きな本なので一緒に写って貰いました。(有名な本なので、私が書いたように見せているようには見えないと思われ)
関係あるようなないようなですが、毎日着る服を選ぶ時間を削ぐのは脳のパフォーマンス的に良いらしいです。
お出かけの時はおしゃれしますけどね、毎日おしゃれするわけではないので普段着は毎日同じデザインの服を着てます。
服がどうでもいいわけではないんですよ、ブランド品も好き、っていうか結局自分の好きなブランドで探した方が好きなデザインの服が見付かるのでブランドの種類はそういう意味で気にします。
私はブランド品を自分の価値を誇示する為に身に着けるのではなく、気に入った品物をブランドであろうとなかろうと身に着けています。
だからなんていうか‥、めりはり。めりはりをつけています。
ちょ、眠いのでちょっと寝ます。
追記
鳳凰、という何やってるのかわからない技。
あ、プロフ写真もうちょいマシなのが撮れました。
(ノー加工に拘りたいのでどうしてもいっぱい撮って一番マシなのを選ぶ形になる。)
髪がぐちゃっとしていないのでちょっとマシなの↓
全体的にモノクロだけど、赤の書が挿し色になって良いですね。
私の勝手な拘りなんですが、プロフィールに使う写真には加工をしない主義です。
特にこういう場所の正式なプロフィールには。
化粧は良いと思うけど‥、私は普通に化粧が出来ないので中途半端にはしない方がいいでしょうからノーメイクです。防御力ゼロ。
創作者として偽り無く露出したい。
露出しない人も居るけど、私は作品のバックグラウンドとして私の事を知って欲しい。
背景を知らないと永遠に解らない作品群有りますからね、私は出来たら解って欲しいクリエイター。(解ってくれなくてもいいというクリエイターも居る)
私は自分が作った謎を解いて欲しい。鍵に存在して欲しい。
開ければ素敵な贈り物が入っているから是非開けて欲しい。
全て贈り物であるから。
という事で頑張って撮りました。また体力が有り余っている時にリトライするかもです。
あ、そうだ、昨日日記に書こうと思った事を思い出したので書きます、以下何か語り始めます。
文芸に優しさや強さは必要だろうか、必要なのは美しさだけだと思う。
強く優しい文章を書こうとすればそれは文芸にはならない、唯のポエムだ。
優しさや強さは結局美しさの中に包含される、故に美しさを追い求めた作品は結局強く優しい。
現代の悲しきポエマーたちは一体何を見て文章を書いているのだろう。
眼差しの先に何が有るのだろう。
君達の書く記号化された物質達は、君達の心を映す鏡となり得るのか。
概念だけが暴れ回るチープな感情の散文、それは美しい文章にはなれない。
唯そこに在るものを真っすぐ自分の瞳の水晶体で、そして脳で捉えられないのは悲しい。
君達はいつから心の豊かさを失ったのだ。
万葉の時代の美しい言葉、それを紡いだ眼光は失われてしまったのか。
強さ・優しさ・美しさの中で、美しさを優先する私はバッシングされると思う。
美しさだけが倫理や道徳とは外れて見えるからな。
違うな、先述した通り、強さと優しさは美しさの中に含まれる。
追求すべきは美しさだ、美しさを磨く道の道中で強さや優しさ、他の尊い感情も磨かれていくのだ。
私は写実の本当の大切さを学ぶ過程でそう思った。
最初私は写実など外観を書き写すだけのものだと思っていた、学ぶ価値について悩んでいた。
でもそれはとんだお門違いだった。写実と言うのは、物に映した自分の心なのだと理解した。
幻想を書くなら写実を磨く必要が有ると、数年かけてやっと理解した。数年、馬鹿なガキだった。
それでもやがて私の歌は、全国の歌誌で読む人の胸を打つようになった。
21歳の作者がこれを作ったとしたら物凄い事だと評価された。
【水鳥の声する闇に一線の光の分かつ空と水面と】
ホテルのナイトフロントの勤務中、明け方に詠んだ湖の様子。情景が浮かぶだろうか。
情景の中に当時の私の心が窺えるだろうか。
私は目の前の湖の明けていく美しさを描いたが、この歌は美しさだけで終わるものだろうか。
父を亡くし、家族を支える為に働いていた一人の暗いロビーで見た朝明けの情景は、私に何を思わせただろう。
唯、目の前のものに向き合う、この単純作業が現代のポエマー達には出来ているだろうか。
良い事を書く事が文学をやる事ではない、全てのものに関心と尊敬と自分の心を見て映し書く、それが出来たらテーゼを添える。それが真面目に文章を書くと言う事ではないのか。文章を大切にするという事ではないのだろうか。
私は文章に救われたから美しい文章を追う。
そういえば、クリエイターは折れたら折れた部分から太くなるものだと私はよく言うが、私が唯一胸を張って私の本だと言える小作品集のガマの話は、大変私の心を折った。
後輩に追い越され、傷心していた私はその人を追い抜く為に短歌だけで構成された物語を作ろうとした。それがあのガマの話だった。
しかし、古語に拘り過ぎて当時師事を仰いでいた人に酷評されて原稿は無かった事にされた。もうこの物語を書く事は無いし文章を書く事も無い、筆を折ろうと思った。
しかし私はどうしても創作者だった。それから数年の時を経て、ガマの話は天からピースが降る様に私の脳裏に降って来て、完成した。発表したら主に出版の関係者から高い評価を受けた。
時計の会社に入れば、時計をつくる話が脳内で破裂しそうだったので急いでメモに書いた。
私は何も持たない幽霊だと思う無力感ですら作品という結晶になった。
生きて作り続けろと急かされるように、色んなものを作った。
仕事中に音楽が湧いて来た時は慌てて録音をしに行った。
絵も音楽も中途半端だけど、まぁ絵と音楽はいつ感覚がリセットせれるか解らないので気軽にやろうと思う。
文章は病気や薬で感がリセットされないから本気で頑張り続ける。
ネロ3部はどうなるのか‥、そもそもネロは初めて書いてみたラノベだからどうしてもおぼつかない。あれはラノベなのか? ラノベなのかもわからない。
ネロは夢にタイトルだけが出て来たんです。
ヒロインネロのシャックストロワーク。
それが衰退していく貴族の世の中と復興していくおんぼろ道場の間を時空を超えて黒猫ネロが行き来するファンタジーであり半フィクションの物語になったのは、たまたまその時の状況。
あの下手な本でも、喜んでたまに読んでくれる子が居るので3部も頑張りたい。
美しさを追いたいけど、最初のストーリーが大体出来ているし、今回は人員の変動が激しいので何とか形に出来れば‥、文才が欲しい。
ネロは基本コメディなので書く方も安心して書けるけど、そもそもの文才が無い。
これでもマシになった方なんだけど‥、定型詩以外で長い文章は絵本レベルしか書けなかったから。
私は水面下のかっこいい努力も出来ない、見える所で見苦しく足掻いて少しずつ成長するしかない。
そしてバッシングを浴びまくって心が折れてそこからまた成長するんだろう。
脱線したけど、文芸、文学には美しさしか要らない、と私は思った。
美しさとは何かを考えて貰いたい。