師匠の家に居たので日記をさぼってしまいました‥。(PCが無い)
さっき帰ってから大掃除のフィニッシュをやって何かよく解らないけど泣けてきたのでしばらくミルクティー飲みながらえぐえぐ泣いて泣き終わって日記を書かねばと思い出したので書いています。(我ながら意味不明な性格)
師匠の家に滞在中に絵を描いたのでまず載せます↓
水彩絵の具をわけわかんない使い方するやつです。絵の具に謝れな感じ‥。
「絵」って言うか紙に泥乗せてただけです。
俺にも一応絵描きの血が流れているはずなんだけど(母が絵描きだった)、俺だけそれが反映されていないようです。
俺が母さんから受け継いでいるのは年を取らない妖怪なところだけかな‥。(顔やスタイルは全盛期と変わらないか寧ろ若返っている、けど白髪はめちゃ増えてる)
彫像の意義は削った石そのものではなく、残された空間に有ると思っています。空間と雰囲気、彫像家はそれを削り出す。
でも、絵って何なんだろう、絵を描く意味って何なんだろうってよく思います。
全ての絵の具を混ぜて出来るのは黒、紙に絶望の予感を乗せる事で画家が求めるものはなんなんだろう。
その行為は、自由とは対極のものだと、どうしても思ってしまう。
ロベールさんの「廃墟から楽園へ」と言うテーマのひとくくりの絵群が俺は好きです。これが好きだったからサイトの副題(Ruins of Heaven)にしたくらい。
アーサー・スパイダーウィックさんが絵と解説を描いた「妖精図鑑」も凄く好きです。
他にも好きな人と作品はありますが、全てに共通するのは、苦しんだ末に報われない死に方をしている、です。
彼等は絵を描く事で救われたのかな、苦しんだだけじゃなかったのかな。
俺は絵描きではないので知った風な事は言えませんが、苦しいのにそれを続けないと生きられない人生は有ると思います。願いを込めて悲劇を書く自分は、少なくともそれだから。
モネさんも、視力を失いながら水連の花を描いていますね確か。絵の具を光の原色へ昇華させる為に、自分の目から光が失われていくと言う画家にとって致命的な絶望の中で描き続けていた、と覚えています。この方は多分明確に、絵そのものは自由とは相反している、と思っていたから描き方をあれこれ工夫していたんじゃないでしょうか。
絵と彫刻に関して別段こだわりが有る訳でもないのに語ってすみません、知っている範囲で思っていた事です。
日曜日は友達を乗せて遠距離ドライブの予定なのですが、雪が降るって予報、大丈夫かな‥。まあスタットレスにはなってるからタイヤは平気か、フロントガラスとサイドミラーが若干曇るのが怖いくらいです。(左のサイドミラーが見えないと左折の時の原チャとかチャリンコの巻き込み確認が難しい)
生活が困窮してる癖に交友費は絞り出しています、が、それも今回で限界のようです。食費をごくたまに入って来る貰い物頼みにするくらいに切り詰めてもギリギリなので‥。(ギリギリ足りるのかギリギリ足りないのか解らない現状)
付き合い悪いつまんない奴って思われるかな‥、それはかなり悲しい事ですが憂いてもお金は湧いて来ないのが現実です。
来年車検の月になったら、車も一旦手放すかも知れません。売っても逆にスクラップ代取られるんじゃないかと言う程の事故車両なので‥。(岩とか木にぶつけた)
普通の仕事をしようか、とも当然考えているのですが、何の前触れも無く泣き出して動けなくなったりで、定時までちゃんと持ち場で仕事します、それを毎日ずっと続けられます、とは全然約束出来ない状態なのでかなり困っています‥。
前の仕事(高校事務)は職務内容と周囲の環境が果てしなく良かった筈なのに、認知のズレが悪化し過ぎて復帰出来なくなってしまったくらいなので、あそこでダメならどこに行ってもダメだと思うんですよね‥。
絵を買ってくれる、って人も居るのですが、俺は絵描きではないのでお金なんて取れませんし。(下手の横好きが技術も知識も無い状態で勘だけで描いている)
(買う、って言ってくれた人には無償であげます、スキャン出来ていれば原画は要らないので。)
叶わぬ願いですが、ちゃんとした治療を受けたいな‥。悪化の一途を辿っていて書き表しきれないくらいには絶望しています。
さて、結構長文になったと思うので今日はこれまで。実は師匠の家滞在中に色々と書きたい事が出来たのですが(俺の戦闘時の動作が鈍くなった理由について)、それはまた改めて書きます。